関羽は降誕した古解州―――山西運城
山西運城市常平村"関聖の生家跡の"石碑
関羽のふるさとは黄河の東岸山西運城市の西南から10キロメートルあまりの常平村にあって、常平村の 南 に 中条山 を衝立にし 、北は 塩池湖を障壁にして 、山水の明媚なところです。このずっしりと落ち着いた環境の黄土文化の中で育った、関羽は、後世にその名を残しました“関聖 帝 ”は蜀漢の名将 -関曇長ことです。
山西運城市常平村の “ 聖祖殿 ” には、 関羽聖祖の札が祭られている
(朱正明が撮影した)
《三国志》、《関帝志》 、《山西運城県名簿》及び 関連史料 の記載によって、 関羽 の字は 雲長 で , 東漢延三年 ( 紀元160年 ) に黄河東岸の 解 州( 山西省運城市 解 州鎮) 常平村 で生まれました。 彼は体つきがたくましくて、容貌に風格があり 、 立派で、 鳳眼 で カイコの眉 で 、 赤ら顔 で長いひげを蓄えて、武芸がずば抜けて強く、 “美しいひげの公” と呼ばれています 。
常平村から遠くない 中条山麓 には関帝の先祖が祭られています。近年、関帝へ行く道路はすでに整備されていて、 たくさんの険しい坂道も石段が築かれ、あるいは石橋が懸けてあり、先祖の墓前には、すでに廟が建てられ祠が立っています。
1400年前に、 地方の人は関羽の“忠義仁勇”の大いなる徳を敬慕して、関羽の旧居跡に祠を建てて 祭り 、 金 代から 廟の建物 が建てられました 。後 、 関羽 は 歴代 の 皇室から死後に爵位を与えられて、廟の建物 も 拡大 され 修築 されました。今日の殿堂の大部分は清の時代の建造物で、 適正に配置された廟の容貌は素朴で、 古いコノテガシワは 空高くそびえており、敷地の総面積 は 31 ムー ほどあります 。
黄河東岸の山西運城中条山の関帝の祖先の墓地 (撮影:朱正明)
常平村西から10キロメートル以内のところは解 州鎮です。 聞くところによると、 鎮には 隋朝から建てられた関帝廟があります。国内外の聖地めぐる巡礼のものはこの古色ただよった関帝廟を “ 武 廟の先祖 ” と 褒め崇めました。
各朝の名人はこの古い建築の上には各朝の名人の記念の対聯はいっぱいです、歴世の皇帝に 賜れた額が歴々と掲げられています。
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