ベトナムの華僑李瑩蔚:中華が忘れ難い
世界関公文化ウェブ:ベトナムの華僑李瑩蔚Ly Vinh Hue、幼時には中国語に濃厚な興味があり、大人になってから中華文化が大好きです。“三国の歴史は一番好きで、関公文化に一番熱中する!”去年、当ウェブには《ベトナムの華僑美人李瑩蔚は関公のために涙を流した》を発表しました。
聞くところによると、2008年に李瑩蔚は全国には中国語が最も高い点数でホーチミン市国家大学の人文と社会科学大学の中国国語係の首位に入りました。次年の4月に漢字を書く試合に参加し、全校の第1位を得ました。2009年8月にホーチミン市の創作試合に参加し、青年チームの第1位を得ました。その年、ホーチミン市の人文と社会科学大学で教師の日を祝い、式典の司会者を務め、そして自分で作った剣舞《女の子が自ら努力し励む》を出演し、満場の喝采を博しました。つい最近、李瑩蔚が関公が誕生した1850周年を記念した全世界の華人の作品を募集した優秀な賞を獲得しました。
今年8月、李瑩蔚は優秀な成績で中国天津南開大学へ一ヶ月留学しに行きました。次は彼女がベトナムに帰ってから世界関公文化のために出した特別記事文章です。
2010年9月5日、ベトナムホーチミン市。
ひっそりと静まり返る夜には、ひとしきりの涼しい風はそっと私の顔に口づけをし、私は深く呼吸し、仙人の息のようなすがすがしい香りをかぎ、陶酔しました。
今夕方美しい夜には、私に中華をしのばせ、天津南開大学を偲ばせます!2010年8月、天津で経験した事及び知った人を思い出し、長い間忘れ難いです!
●顔にはほほえみを浮かべて歩いてくる関秀芬先生
今年2010年8月、私は幸運に中国の天津の南開大学孔子学院の奨学金を得て中国へ留学に行きました。最初の肝心な時間がこのうれしいニュースに知る時に、興奮する以外にはすごい誇りも私の胸のうちに湧き上がりました;興奮したのは留学の奨学金を得ることに勝るものはないで、誇らしいのが中国国務院の初代の首相周恩来様と現職の首相温家宝様の母校の学生になるのです。
中国へ留学しに来て、私の見聞を広め、多く勉強しました。切り紙細工、書道、絵画;口語、中国文化、新聞雑誌、中国の民間芸術は全て習う価値がある科目です;それ以外に、学校は私達が中国文化を体験することを手配しました。例えば、古文化街、紫砂会館を見学したり、お茶の文化を体験したり、天津博物館を見学しました。
私の初めての中国の先生は南開大学の関秀芬先生です。彼女は私達の留学生奨学金一クラスの総合授業の先生です。彼女は和やかで親しみやすい顔立ちにはにこやかな笑顔を浮かび、教室へ歩き、私達が天津に来ることを歓迎します!私は深く世の中の万事は全てはっきりしない時に手配があることと感じて、私達は互いに“縁があれば万里でも会う”と言えます;更にうれしいことに値するのは、関先生もたいへん関公様を敬い慕うことです。志向が同じな人は集まり;道は同じな人は互いに図ります。関先生の教育経験は豊富で、解説は生き生きとしていて、一歩一歩人を上手に教え導きます。彼女はすごく良い先生です!
関先生に出会った時には、私の内心にはめでたい予感を満たしました。いっそう南開大学へ留学しに来ることはとても値打ちがあると感じます;いわゆる“1日の師で、一生の師です”。関秀芬先生は永遠に私の良い先生で、永遠に関秀芬先生を忘れることはできません!
李瑩蔚は天津南開大学にある
●古文化街で関旦那様に拝んだ
最も忘れ難いのは古文化街です。その日はちょうど関聖帝君が誕生した1850周年の日です。私は中国の関帝殿(古文化街の“勅建天后宮”関帝殿)へ関聖帝君のために誕生日を祝い、拝んでから、内心の光栄感と満足感を形容することができません!
中国の歴史文化を心から愛するので、古文化街に着いてから、私はまるで歴史の中国に入りました。悠久の歴史、先進的な文化は伝統の伝承を目撃証言します。例えば、“泥人張”、“揚柳青年画”、“米の上で刻字”などがあります。ここで、私はまた箏を弾いて、中国で中国の伝統の芸術を身をもって体得して、独特な面白さがあります。天津三絶及び天津の特産物さね張などはたいへん私を引きつけて、私に大いに見聞を広めさせて、十分に目の保養を享受しました。
ごく短い1ヶ月の中で、私は味わいが尽きないと感じました;様々な感動、文章で描くことができない、言葉で話すことができない、ただ2つの文字で概括します:“値得”です。“値得”はただ習った知識だけではなくて、最も重要なのは“良縁”を締結するのです。
李瑩蔚と海外の留学生は天津古文化街にいる
李瑩蔚は天津古文化街にいる
●中国で、貴人の協力があり、本当に良いです
関帝様は私が外出して貴人に会うことを加護することに感謝します。中国河南の関志傑さんは私を一心に配慮し、外出する注意事項事について、彼は絶え間なく私を指導しました。私はとても安心していると感じて、手続きをうまく取り扱い、中国に到着しました;天津にいた時に、彼も度々私を指導し、彼の経験を私に教え、至る所に私を守りました。本当に関さんに感謝します!
特に世界関公文化促進会の朱正明様のおすすめと紹介のおかげで、私は天津の有名な芸術家“土偶王”王樹様と知り合いになりました。2010年8月12日、私は幸運に王さんに会いました。王さんの業績にすごく敬服し、彼と接触した時、私は自分がとてもちっぽけなことと感じて、また努力して、絶えず向上しなければなりません。王樹様との交流を通して、私は中国の芸術に対してもっと深く理解しました。彼の関公土偶の作品の顔は真に迫って、生き生きとしていて、名に恥じません。彼と知り合いになることは私の幸せです!王樹様は親切な人で、人を助けることが好きで、正直で気前が良いです。彼と家族の世話のおかげで、私の留学生活はとても充実して忘れ難いです。天津を離れた時に、王樹様はわざわざ私を空港まで送りました。私は中華民族の大家族の温かみと深く感じました!
李瑩蔚は天津で関公様の泥人形家王樹様にインタビューしている
●中華大地が忘れ難い
中国大地の忘れ難い事はまるで昨日に発生しました。今のところ、一幕一幕の光景は私の目の前で現れ、脳裏に現れます!
私はこのような詩を読みました:手ですくい取る砂は指の股から流失し、貴重な時間も同じで、私達の手元から絶え間なくて音声がない消えます。
学業が満期になり、互いに”さようなら、大事に”と言ってもらった時に、親しい友人は全部頭を抱いて涙を流し、名残を惜しみます!
私達は“縁があれば、万里でも会いに来る“である以上、涙で分かれる必要があるのか。私達は楽しく集う初めがあるので、歓送で別れましょうか。それに”逢うは别れの始め”です!
私が天津を離れるつもりで、飛行機の通路の上で通行した時に、私は高い所から下の景物を見下ろし、思わず感激の涙が目にあふれました!本当で、私は本当に離れたくないです!友人と別れた挨拶をした時に、憂いがない笑顔は私の外見をめぐっているけど、しようがない感慨は私の内心をめぐっています!私に伴っている感情は無限な恋しい思いと追憶です!
家は風を避ける所で、中国は私の貴人坊だと思います。今のところ、毎時、私はたくさんの天津の人と事を思い出します!これらは私の永久不変の記憶になりました!
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