朱正明:は 世界にあまねく歩いて関帝文化 を 訪ね る
25年以来 、撮影家朱正明は中国大陸、台湾 · 香港 · マカオ、東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカにあまねく歩いて、行程 21 万 あまりの キロメートル 踏破して 、数多くの貴重な写真をを撮影して、《中国関帝文化》、《世界関帝文化》などの専門書を出版し、国内外で何度もみごとな写真展を催して、そのうち数回は省部級の奨励賞を受賞しました。
心は関公に向かって、三国の古い戦場の文化雰囲気に源を 探す
長江三峡は雄奇雄大です。朱正明の郷里 は 長江三峡の東部 の 数十キロメートルの当陽市 にあります 。これは一面の非常に不思議な土地です 。 三国の時に趙雲 は 長阪坂大戦 をして 、張飛は当陽橋 を怒鳴って 当陽橋 が切れて 、関公 は 玉泉山 で 霊験を現すなどの永遠に語り伝えるストーリ は すべてここで発生しま した 。
朱正明は当陽 で 仕事 をした 時、中国国内の半分以上あまねく歩いて、続々と《関羽と関 帝 廟》、《三国のかつて住んでいた所を訪ね る 》、《中国当陽》などの画集を出版して、国内外各界の名士により幅広く称賛を受け ました 。
5 回 チベットに入って、雪域高原関帝の文化を発揚 する
1993年に、朱正明は湖北省海外の友好会へ転勤させられました、これは彼に “世界にあまねく歩いて関公 を 訪ね る ”の雄大な計画を実現させます。《中国関帝文化 を 追跡 する 》の大規模の画集が出版 される 予定で すが 、彼は依然として満足 せず 、チベットの内容がないと、完結しないと と 思 っています 。その後、いろいろと尋ねて、 チベットで 関 帝 廟が ある こと が 知り、朱正明は非常に感動して、独りで成都から飛行機に搭乗して、雪域高原に飛んでいきました。
撮影家 朱正明 はチベットの念青唐古拉山で撮影風景を探している
全国政治協商会議の副主席霍英東(中)、湖北省の省長羅清泉(右)、撮影家朱正明は香港会議展覧センター(中国新聞社)に いている
朱正明はチベットの文化界権威の 名士( チベット社会科学院の研究員、全国政協委員 恰 白﹒ 次 丹平 ) を探し当てました 。 内陸の関帝文化 を チベット に 広める経緯をはっきりさせました。彼は拉薩磨盤山関 帝 廟に来て、正殿の関公像 は 文化大革命の中で壊されたのを見て、殿外の貴重 な 古い石碑はすでに破損 され て、正殿の両脇の殿は崩れてぺしゃんこになっており、心の中はとても 痛みに耐えません。 彼は自分の 2 ヶ月分の給料を取り出して、拉薩関 帝 廟に寄付して、拉薩関 帝 廟を修復することを呼びかけて、再び関帝 像 を作ります。
2001年、新華社、中央テレビ局、香港大公報などの何社かのメディアはチベットに 来 て関帝文化 を 取材し、朱正明は特に文化専門家、写真家 として 招かれま した 。みんなは拉薩関 帝 廟をみて、この漢 蔵 の歴史上貴重な関 帝 廟 が 非常に破損が激しいのを知って、気持ちはとても暗くなりました。随行する北京関公 文化 伝播会社の 総経理戴 兆明 は 真っ先に数千元 を 寄付しました。
記者の訪問団は北京に帰ってきて、雪域高原の関公文化の大切さを国内外に報道しました、朱正明氏の海外の多くの友人の中の 1 人である雷震寰 様 は、香港でチベット関 帝 廟の報道 を 読んで、拉薩関 帝 廟の修復を支持 する考えが 芽生え ました 。 2002 年 8 月、雷先生は朱正明を招いて、ニューヨークで留学中 2 人の息子 といっしょに チベットに飛んでいって、拉薩関 帝 廟に 5 万元を寄付しま した 。 2003 年 12 月、雷震寰 ,戴 兆明、朱正明の一行は苦心して銅 で鋳造された 関公像を広州から拉薩関 帝 廟に運ん でい ます。今、 蔵漢回 の 各民族の人達 は 関羽廟 へ 拝謁する 人も だんだん多くな ってきており、 海外の観光客も関羽廟 を 見学して、線香をあげ礼拝する人達がますます増えて お ります。
アメリカ へ二回 行って、国内外が関帝文化交流を促進 する
サンフランシスコ市長ブラウン の 招 きに応じて 、 1997 年、朱正明はサンフランシスコ南シナ海 の 芸術センター で “中国関帝文化写真展”を開催しました。駐サンフランシスコ中国総領事王雨生は開幕式上で:“朱正明先生は 写真 芸術の形式 で 、 初めて 関帝文化 を 海外に向け発表しました、このことは大変に意義のあることです事ですと”しみじみと言いま した
撮影家朱正明は米国テレビ局で“世界関帝文化の特別 の 取材” を受けている (中国新聞社)
2000年8月、ニューヨーク関 帝 廟 の 招 きに応じて 、朱正明は部分のピクチャーと長年の収集する技術の秘蔵品を精選して、湖北省関公 文化 交流団に 連れって ニューヨークに行って 作品を 展示します。ニューヨークの僑界の八大社会団体の指導者はすべて開幕式に出席してそしてテープを切って、ニューヨーク州政府の官吏も特に祝賀に来ま した 。翌日、《世界日報》、《僑報》、《星島日報》、《ニューズウィーク》などの何軒もの新聞雑誌 は 次から次へと人目を引く見出しで報道を行いま した 。訪問団がロサンゼルスを経由する時、米国テレビ局の国際チャンネルは朱正明 を 特に 招い て出演放送スタジオに着 いて 、近い 1 時間の取材を行って、即刻人物の特別取材を作りだして全米に放送しま した 。しばらく、“中国関帝文化”は人々の議論する注目 ポイント にな りました 。
台湾に 三回 入って、世界関帝文化撮影展を催し た
1998 年、台北市 ある 関係方面 の招き に応じて、朱正明の一行は台湾海峡をまたが っ て、台北市立大芸術センターで“関帝文化撮影展”を催しま した 。 開幕の その日、 30 数軒の社会団体と知名 人士が 苦心して造 った 花かご と 盆景はホールをいっぱい並べ られて 、雰囲気は非常に熱烈です。次の年 6 月、“両岸関帝文化撮影展”は台湾日月潭で 盛大 に 行われ ま した 。
2003年10月、台湾中華関帝弘 道 協会の招待に応じて、礁渓 協天 廟の 200 周年の大典を祝賀 するために 、《世界関帝文化写真展》は再度台湾宜蘭で開催されました、台湾の 100 数十に上る関 帝 廟の責任者は多くの人を連れて、祝賀 会に出席し見聞をひろめました。それは 空前の盛況でした。
中国新聞社、新華社、米国《世界日報》、香港《文匯報》、《湖北 日報 》などによって整理し た。
撮影家朱正明(右)は日本の華僑総会の会長曾徳深(右 2 )、日本横浜関 帝 廟理事長林兼正 様 (右 3 )などに《世界関帝文化》 の 画集を贈呈し ています。