関山古鎮:関羽の忠義文化が多種多様
世界関公文化網のニュース:湖南省の長沙市を出発し、高速道路に沿い、西の方に向かって30分以上進むと、関山古鎮に着く。
関山古鎮の高速道路の交差点の関帝像
高速道路「関山」の出口には高さ19.8メートルの関羽像がある。長い立派なあごひげの関羽が刀を振りかざして佇んでおり、忠義で凛としており、湖南省全体に注目している。
関山古鎮の雄大な山門
漢献帝の建安時代、関羽は長沙に遠征し、部下の500人の将士を率い、ここに駐屯したと伝えられている。長沙を攻略した後、大軍が移転し、多くのやぐらと砦を残し、地元の村人はそれに基づいて住み、繁栄・生息し、関山はここから名づけられた。
「結義園」で酒樽を高く掲げて八方からの観光客を迎える関羽像
関山古鎮は山門が高くそびえ、観光ポイントが林立している。「桃園結義」、「忠義広場」、「三国草堂」、「忠義堂」、「古街道」、「銅雀台」、「七星壇」、「文化財博覧館」、「四十二孝図」、「パパはどこへ行くの」など、各観光ポイントには物語がいっぱい。関山古鎮を遊覧すると、忠・孝・仁・義・礼・知・信の感化と薫陶を十分に感じることができる。そして、暖かい衣食住の行き届いたサービスを受けることができる。
古鎮内の鋼鉄が鋳造された関羽像
「パパはどこへ行くの」園内の劉備像・関羽像・張飛像
関山古鎮の代表取締役の朱志明氏は10年間、1億8000万の資金を使用し、関山古鎮を建設してきたと記者に伝えた。
軍師の諸葛亮が東風を借りる銅像
関公広場の片側には観光客の祈りの短冊を掲げている
関山古鎮に入ると、とてもまぶしいのは関羽像のそばにある「忠義」の2文字だと、朱志明氏は愛情深く言った。関羽の忠義精神はまさに関山古鎮が伝承するコアな価値の存在である。忠義精神は中華民族が世界の森にそびえ立ち、世界へ進出し、海を鎮める如意棒である。
関山古鎮の代表取締役の朱志明氏(右)は有名俳優の唐国強氏と同行して関山古鎮を視察
関山古鎮では、朱正明氏(左から2人目)は海南省委員会統戦部の劉耿平副部長(右から2人目)に『世界各地と中華の関帝が世界の屋根に集まる』という作品を贈った。左側は長沙関羽会会長の徐柏林氏、右側は会長夫人の蒋穎子氏
シンポジウムに出席したゲスト。右から:山西運城関氏宗親懇親会栄誉会長の関新剛氏、山西解州関帝祖廟副所長の郭波氏、河南洛陽関林管理処処長の李春敏氏、世界関公文化網編集長の朱正明氏
シンポジウムの現場で、朱正明氏(左から2人目)は関山古鎮の代表取締役の朱志明氏(右から2人目)に『世界各地と中華の関帝が世界の屋根に集まる』という大幅な作品を贈った
シンポジウムに出席した一部のゲストの記念写真
7月3日、関羽の忠義精神と湖湘文化のシンポジウムが関山古鎮で開催された。
長沙市の子供達は関山古鎮の「パパはどこへ行くの」遊技場にいた
関山古鎮で三国物語を演技するお嬢さん達
全国各地の関羽文化の伝播者は長沙市の文化基礎を高く評価し、「関羽の長沙の戦い」歴史事件の現実的意義を深く掘り起こし、湖南省全体での忠義の特色を持つ関羽文化の名刺を作り出す。
(文章:正明 写真:俊奕、古鎮)
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