シルクロード高原 六省区の関公会長は関公の忠義文化を訪ねた
世界関公文化サイトの情報によると、9月中旬、中国写真家の朱正明氏は湘鄂閩青甘港の六省区の関公文化会長と企業家を率い、シルクロードに行って中華関公の忠義文化を尋ねた。6日間で13箇所の文化遺跡と関帝殿堂を訪問し、シルクロード関帝の文化風情に深く感動された。
青海省青年連合会の関景武副主席が西寧市南山の頂上にある財神殿に寄付した関公像
訪問団のメンバー:中菲関帝慈善基金会長・香港商人の許謀景氏、湖南長沙関公会執行会長の王協輝氏、湖南紅顔関公ブランド総監の周統氏、湖北宜昌市警察官・宜昌市関公文化研究会会長の関洪波氏、湖北省アフリカ商会副会長の劉松旺氏、福建文龍織造董事長の許文龍氏、福建中海グループ総経理の陳興陽氏、青海省関公文化促進会会長の関瑞林氏、甘粛省関氏の宗親会顧問の関宏武氏等の12人。
訪問団は関景武主席に関帝像を贈呈した。左から:劉松旺氏、関瑞林氏、関景武氏、許謀景氏、関洪波氏、朱正明氏、王協輝氏
保安古城に祀られている関帝群像
●保安古城のチベット族の郭巴じいさんの関公思い
シルクロードに到着した翌朝、朱正明氏一行は黄河の南下160キロを回り、海抜2300メートル以上の同仁県保安古城に来た。ここは歴史の長い国家級歴史文化名城である。古い町で山並みもあり、復旧したばかりの関帝殿があった。古城関帝廟は清乾隆二十六年(西暦1761年)に建てられた。現在、郭巴じいさんは一日中関公の殿堂で見守り、祈りに来た漢族やチベット族等の各民族の同胞のために線香を点火したり水を送ったりし、環境を維持し、忙しかったが一日中うれしいそうな顔をしていた。
郭巴じいさんに最新の科学技術製品と最新の文化著作を使い、現地の民衆に関公忠義文化を宣伝してもらうため、保安古城関帝大殿の前で、訪問団はデジタル映画映写機、「天涯を遍歴して関公を訪ね」の本、関公のカード等の文化記念品を贈呈した。
●青海チベット高原に関帝の名を冠した大きな山がある
車を西寧から北に30キロ以上走らせると、高原に横たわっている大きな山が見えた。この山は海抜2928メートルで、大通回族トゥ族自治県に位置し、関公の名前を使用して「関帝老爺山」と名づけられた。
青海大通回族トゥ族自治県にある関公の名前で名づけられた「関帝老爺山」
老爺山の関帝殿前の関公立像は、幾重にも重なった桑の花に囲まれていた
老爺山の関帝殿で、訪問団は関公に線香をあげた
大通県関帝老爺山の山の門の横額
麓に下り、同行するテレビ局の記者の熊涪江氏は無人機を飛ばし、みんな一緒に「天涯を遍歴して関公を訪ね」横断幕を展示した場面と関帝老爺山の全体を録画した。
訪問団長の朱正明氏は甘粛省関氏宗親会顧問の関宏武氏(左)に写真作品の「五洲中華関帝が世界の屋根に集まり」を贈呈した
西寧山陝会館
朱正明氏一行は関帝老爺山に登り、関帝の正殿の前に関帝の立像が立たれており、高さが7メートルぐらいで、大通の古城と対峙するよう聳え立っている。関帝正殿に入り、穏やかで優しい関帝像が、神棚の上で「春秋」を静かに読み、関平像・周倉像が両側に侍立している。神棚の上には、油ランプがずらりと並んでおり、吉祥の光が輝いていた。各少数民族から献上されたハタ、メレンゲ、花、果物などは、殿堂全体の優しい雰囲気をもたらしていた。
西寧市潇中区多巴鎮関帝廟で祀られている関公像
関帝老爺山の普渡道士が以下のことを紹介してくれた:「老爺山には現在15つの殿堂があり、元明清の3つの時代に建てられたものなので、歴史的な文化財価値が非常に高い。毎年旧暦の六月六日に開催される花の会、参詣会は壮大で、国家無形文化遺産に登録されている。私は老爺山で13年にいたので、命がすでに山と一つになっている。」。古代のシルクロードでは、一つの高原の山が中華関帝と命名されたことは、関公が中華の各少数民族の中での影響の大きさが十分に見られた。
青海省湟源県ダンガル古城のレストランのロビーに祀られている関公像
老爺山の上、関帝正殿の前で、雲杉が幾重にも重なり、紅柳がまっすぐに伸び、桑の花が自由自在に咲いていた。
●ポプラの木で彫られた関公像が、皆にとって写真映えのスポットであった
海抜3000メートル余りのチベット高原で、チベット族の娘チャマちゃんが訪問団と一緒にポプラの木の彫刻の関公像を持ち上げた
訪問団は引き続き高原を訪れ、朱正明氏はポプラの木彫りの関公像を発見した。朱正明氏はポプラの木が三千年の年数を取っても古くない品種で、年を取っても三千年も倒れず、倒れても三千年も腐らないことが知っていた。立派で素晴らしいポプラの木は中華民族の不屈の気高い品格を明らかに示している。シルクロード高原職人がポプラの木で彫った関公像は、とても貴重である。朱正明氏はこの関帝像を手中にささげ、宝物としていた。
宜昌市関公文化研究会の関洪波会長はポプラの木彫りの関公像を持ち上げた
海抜4000メートルの高原で、五色の経幡が風を受けて舞っていた聖地で、チベット族の娘チャマちゃんはポプラの木彫りの関公像を高く持ち上げ、訪問団のメンバーは集まって情をこめて関帝を見守っていた。みんなの後ろには高原の神秘的で多彩な経幡があり、深い青空と自由な雲が流れていた。世界に災難が少なくなるよう、地球に安らぎが多くなるよう、忠誠と正義を末永く伝承できるよう、堂々たる中華がに吉祥になるよう、みんなは2021のために静かに祈っていた。
その後、七色の丹霞山の頂上で、雄大な嘉峪関の城壁の上で、関帝に対する敬意を表し、関帝の忠義文化を伝承するため、訪問団のメンバーは続々とポプラの木彫りの関公像と写真を撮った。
●シルクロードの張掖では、みんなが閩南歌謡の「勝つには一生懸命頑張るしかない」を歌い出した
訪問団は西北に向かって出発し祁連山脈を越え、祁連山麓の千里河西回廊に到着した。皆は旅路でやつれ果てたさまだが、気持ちが元気に満ち溢れていた。シルクロードの古道の中に位置する重要な都市の張掖で、みんなは大仏寺内にある山西会館を訪問した。会館は清雍正二年(西暦紀元1724年)に作られ、全国の重点文化財である。会館の前で、張金多副館長に「五洲中華関帝が世界の屋根に集り」の撮影作品を贈呈した。張館長は来賓に山西会館の歴史を詳しく紹介した。
シルクロードの古道の中に位置する重要な都市の張掖にある山西会館は、一枚一枚の反り返った軒先は空中で入り交じった
翌日、訪問団は車を運転し、312国道を西に10キロ余り行き、張掖管寨村関帝廟に到着した。こちらは海抜1390メートルで、周りの青い柳が非常に美しく、モウハクヨウが立ており、果てしなく続く高粱畑があり、映画の赤い高粱の撮影場のようだ。遠くには祁連山頂に真っ白な雪が積もっていた。
張掖山西会館
管寨村関帝廟主任の管烽じいさんは、関帝正殿が最初清の末年に建てられ、七、八年前に張掖で商売をやっていた息子の管超民が400万元以上を出資し、関帝廟を再建したと紹介した。息子が寺を建て、親が管理するのは、本当に調和がとれて円満なことであった。
張掖山西会館に祀られている関帝
その夜、張掖市で皆はシルクロードの関帝文化について話したり、関帝の精神について話したりし、興奮していた。香港商人の許謀景氏から始まり、みんなは感情を込めて閩南歌謡の「勝つには一生懸命頑張るしかない」を歌い出した。歌声はシルクロードの上で長い間旋回していた。
張掖山西会館にいた訪問団のメンバーは夕日を浴びていた
この状況を見た青海の関瑞林会長は、チベット高原にあるシルクロードの荒涼さと雄大さをより多くの人に感じてもらうために、「関公文化国際旅行社」を設立し、国内外の友達を誘い、シルクロード高原に関公を尋ねて参詣しようと提案した。
張掖関帝廟の周辺は見渡す限りの紅高粱であった
張掖関帝廟管理委員会主任の管烽じいさんは訪問団に正殿の歴史を紹介した。左から:王協輝氏、管烽氏、許謀景氏、朱正明氏
●明朝の万里の長城の端に位置する嘉峪関で、訪問団はマスクを着用し情を込めて写真を撮り、2021年が吉祥順調になるよう祈っていた。
雄大な嘉峪関は、南から千里に跨る祁連雪峰を眺め、北が広々とした砂漠で、12000キロ余りの明朝の万里の長城の終点であり、明洪武五年(西暦1372年)に建てられ、朱家の太祖皇帝の傑作である。関城内には関帝廟、、文昌閣、遊撃将軍府などの建築が現存している。
嘉峪関関帝廟は東城門の下にあり、明正徳元年(西暦1506年)に建てられた。正殿の向かい側の舞台は北向きで、廟殿と繋がっており、「万里の長城の主宰」、「天地正気」、「気壮山河」などの看板を掲げている。
嘉峪関関帝廟に掛けている「天地正気」の看板
嘉峪関に登って城の南を眺めていると、祁連山の雪峰は宝石のようである。城の北には、ゴビ砂漠の黒山が黙って立っている。城の東は工業旅行の新しい町として目に浮かぶ。城の西には、交錯する蘭新新幹線と空まで延々とする高速道路がある。大西北の方は深奥で高遠で、荒涼且豪快な神韻、奮起して上に向かってやまない力を人に与える。
嘉峪関関帝廟が祀っている関公
嘉峪関関帝廟の前で、朱正明氏一行は嘉峪関万里の長城文化研究院の兪春栄副院長に「天涯を遍歴して関公を訪ね」という著作を贈呈し、嘉峪関の関城観光地総経理の査西文氏に「五洲中華関帝が世界の屋根に集まり」の撮影作品を贈呈した。最後に、忘れられない2020年を記念し、吉祥の2021年を祈るため、訪問団と嘉峪関市委員会統戦部の汪玉泰副部長、市文旅局の戴烨副局長はマスクを着用しながら、「天涯を遍歴して関公を訪ね」の横断幕を開いて集合写真を撮った。
写真家の朱正明氏は嘉峪関関城の査西文総経理に「五洲中華関帝が世界の屋根に集まり」という撮影作品を贈呈した
嘉峪関の城門には、宋代の関公の陶片図も展示されていた。これは中国において一番最初の関公のイメージ図である。
●シルクロード高原に身を置き、会長達はの深い情を告白した
高原、大砂漠では、訪問団のメンバーは興味津々で、情熱が一杯で、感慨が深かった。
忘れられない2020年を記念し、吉祥になる2021年を祈るため、訪問団と嘉峪関市委市政府の関係指導者はマスクを着用しながら、「天涯を遍歴して関公を訪ね」の横断幕を開いて集合写真を撮った。
湖北省委統戦部の前海外センター主任、関公文化学者の朱正明氏はこう語った:「私は2020年江城武漢にいた。今回は武漢を出るのは初めて、屋外でマスクを外すのも初めて。古代のシルクロードの空は高く、大地は広く、人をワクワクさせた。関公は、古い中国のシルクロードの道徳模範で、新時代の核心価値観の代弁者である。最近、習近平国家主席は山西省を視察した時、関公の忠義文化を発揚し、関公の精神を更に輝かせると強調していた。」
嘉峪関の城門には、訪問団は宋代の関公の陶片図を展示さした。これは世界で最初の関公像である
香港商人・中菲関帝慈善基金会長の許謀景氏は、私の故郷が泉州で、海のシルクロードの起点であり、福建省南部に帰ったら、もっと多くの友達と連絡し、もっと多くの善行をし、海上と陸上のシルクロードを遠くから呼応させると話した。
湖南長沙関公会は、現在全国で若者が最も多い関公関係社会団体である。王協輝執行会長はこう語った:「今回はシルクロード高原で関帝を訪れて参詣して交流することで、より深い感銘を受けた。関公文化は時空を超え、国や民族を超え、永遠の魅力を持つ優れた伝統文化であり、社会主義の核心価値観と脈々と受け継がれ、時代的な意義がある。」
訪問団は明代万里の長城の終点(嘉峪関懸壁長城)に登った。左から:湖北企業家の劉松旺氏、福建企業家の陳興陽氏、福建企業家の許文龍氏、香港商人・中菲関帝慈善基金会長の許謀景氏
宜昌市関公文化研究会の関洪波会長は以下のことを話した:「関帝への信仰は既に各民族の心に深く溶け込んでいる。私達はもっと努力し、多くの民衆の中で関公の忠義精神を発揚し、公益の慈善事業を多く行い、社会の調和のために貢献をしよう」。関洪波会長の関公研究会には100人以上のメンバーがあり、長陽土家族自治県57村の身寄りのない老人を援助しており、一昨年は23万元、去年は33万元の資金を使用した。これらの資金は全部会員からの寄付であった。
湖北省アフリカ企業家の劉松旺氏は、シルクロードの先がアフリカ大陸であり、私達が積極的に努力し、中華関帝の忠実・誠実・正義の文化を更に多くのアフリカの国に広めて行こうと話した。(文章/俊敏 写真/朱正明)
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