朱正明様は更にアフリカへ関帝文化を訪ねに行く
2009年の初春2月、湖北省アフリカ民間商業協会の秘書長朱正明様は湖北省政府の訪問団に従ってアフリカに行き、モザンビークに着きました。モザンビークはアフリカの東南に位置し、インド洋に隣接し、2600数キロメートルの海岸線があり、無数の魅力があるの海湾に繋がっています。
多忙な考察以外、すでに三回目アフリカに来たの撮影家朱正明様はアフリカに関帝文化を引き続き訪ねています。アフリカの有名な学者、奇正モザンビーク建築会社の総裁賀建平様のご案内で、朱正明様の一行はモザンビークの華僑協会の副会長任南華様といっしょにモザンビークの関帝廟の旧跡を訪ね、国家芸術博物館に秘蔵された関帝像をを探し当て、たくさんの感動させるストーリを耳にしました。
1903年、モザンビークの首都には関帝廟を建設した
モザンビークの関帝文化の盛衰はモザンビークの華僑の移動と発展としっかり関わって、モザンビークの戦乱と平和としっかり相連なって、中華民族の繁栄と開放としっかり関わります。
1903年、マプートに定住した華僑は280人がいました。開拓精神を持った建物技師謝三(ポルトガルの言葉にはJa Assamと呼ばれた)は自分の土地を無償で寄付し、1903年に資金を集めて中華会館、関帝廟を建設し、また中華小学校を建てました。関帝廟を建てた数十年間、華僑華人の集まりの場所になります。華僑の祝日、婚礼、誕生日などの祝典および他界した華僑の葬式はすべて関帝廟で開催されます。
1976年、関帝廟は国家に不思議に“没収された”
1964年9月、モザンビーク解放戦線党は北部の高原で武装蜂起を始め、ポルトガルの植民地統治に反対した独立戦争に開戦しました。マプートの華僑はモザンビークから撤退すし始めて、跡で中華小学校を閉鎖しました。1975年6月、モザンビーク人民共和国の創立を宣告し、中国と旧ソ連の方法を見習って前任の政府の銀行、学校、病院、工場、廟などの資産をすべて回収し国有にしました。華人の関帝廟、中華会館、中華小学校はすべてぼんやりして“没収され”、 関帝像も行方不明でした。
関帝神棚はモザンビーク国家芸術博物館に秘蔵されている
任南華様と賀建平総裁のご案内で、朱正明様の一行はモザンビーク国家芸術博物館に来ました。精神と物質の交渉を通して、ついに国家芸術博物館の最も秘密の地下室宝庫に入ることを許しました。
彼らは回転した階段に沿って、1歩ずつ宝庫に歩き、目の前の光景は彼らをぽかんと驚しました:100余り平方の地下室が金網に隙間なく囲まれて、ネット内に、異なった国家の異なった民族の異なった時代の貴重な芸術品を積んでおいて、木彫り、銅で鋳造された品、泥人形、多くの材質を口に出せないものがあります。これらは“社会主義改造”の時に、没収された“宝物”はずです。1人の黒人の油絵大家が金網の周りの狭い空間に暗い照明を通し、油絵を創作して、同時にこれらの芸術宝物を見守っています。
回廊の壁に寄ったところに、私達は3基の関帝廟の神棚を探し当て、2基にすでに神仏像がなかった、ただ関帝像の木彫りの神棚は元のとおりです:中国赤の神棚の背景は金色の彫りにめぐられて、赤い顔の関帝様は静かに神棚の中央に姿勢正しく座っています。神棚の下で、名匠が彫刻した関公のストーリで、金色はそんなに鮮やかです!
階段の曲がり角の所に、私達は探し当てた関帝廟の銅香炉上に “中華会館”、“光緒甲辰吉日立”などの漢字を彫り刻んでいます。また当時の関帝廟の紫檀椅子を探し当てました。
私達はこの日を待っています:モザンビークの華人と黒人は慈善威厳の関帝像に取り囲んで、道中に沿って爆竹に火を嬉しくつけて、再び関帝像をマプート関帝廟に戻させて、煙の細長く立ち上る暖かい雰囲気に、新旧華僑は関帝に線香を立てて、ひざまずいて拝んで、静かに親友のために祈って、黙々として祖国のために祝福します!
モザンビークの関帝廟を回復した曙光を見た
湖北視察団は中国のモザンビーク駐在大使館を訪問する時、田広鳳大使は朱正明様にモザンビークの首都関帝廟が数年前、国家の芸術学校として使用されたと紹介しました。近年、モザンビークの華僑協会の努力を通して、モザンビーク政府はすでに正式に“政策を実施すること”を決定して、関帝廟を華僑協会に返して、関帝廟と中華会館を回復します。現在、実質性の返すことはいっそう前に向かって進めています。
モザンビーク国家芸術博物館の秘蔵した関帝像(朱正明が撮影した)
モザンビーク関帝廟の神棚の上で関公のストーリを彫刻しました。(朱正明が撮影した)
モザンビーク関帝廟のもとの正殿は今、モザンビーク芸術学校視覚設計室になりました。(朱正明が撮影した)
任華南先生はこれがモザンビーク関帝廟正殿の香炉で、今、モザンビーク国家芸術博物館に保存されていると言いました。(朱正明が撮影した)
これはモザンビーク国家芸術博物館です。関帝像はここに秘蔵されています。(朱正明が撮影した)
撮影家朱正明様(左三)はモザンビーク首都に華僑総会の副会長任南華様(右3)に大規模の画集《世界関帝文化》を贈呈しています(賀建平が撮影した)
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