湖北荊州:関帝廟に斎天大典
い伝えによれば、6月14日(旧暦5月13日)は関公の誕生日だそうである。関公は最も早く荊州城を築いて、そこで功績をあげ自ら事業を興して、市民たちに「初代の荊州市長」と親切に呼んだ。
昨日、「初代市長」関公の誕生日の1851周年を迎え、荊州の関連部門は関帝廟で2011関公祭りを開催した。大勢の「関公ファン」は豪雨の中に関公を心から追想した。
近年来、荊州は年ごとに大型の関公祭りを催すことになっている。今年の祭りは例年より記念方式はもっと多様的である。
極彩色に輝いた関帝廟正殿
花と果物で関公を祭祀し、美しくて気持ちよくて、炭が低くて環境保護になる
斎天儀式 母国を祝い
豪雨が降って、盛大な斎天儀式は荆州関帝廟正殿の入り口で幕を開いた。一つの壇城は高く聳えている関公像に向かって、それぞれ五穀雑穀や果物や生花などの供え物を据えていた。
章華寺の僧たちが夜明けの6時30分から幸福を祈るために読経を始めた。儀式は3時間ほど続いた。
関帝廟管委会の主任となる蒋盛熹によって、斎天儀式を導入するというのは、日照りや冠水などから離れて、気候が順調になるように、荆州及び母国のために幸福を祈ることである。それと同時に、社会の調和な発展も積極的に提唱していた。
斎天の現場は厳粛で穏やか
関帝廟の正殿に朝貢していた荆州乙女
優美な贓品 文化を発揚する
荆州は三国文化の故郷で、関公文化の発祥地でもある。関公は9年ほど荆州を守備して、その忠義仁勇は千百年以来に世人に崇敬されて、関帝や武聖や財神と誉められる。彼に由来する関公文化ははかり知れない影響を与える。昨日、超「関公ファン」たちが関帝廟の中に関公贓品展覧会を催し、人々は切手や電子カードから聖跡の図までの贓品に心を奪われた。民間の民俗から掘り出した関公文化は忘れ難い。
文化の記憶はいつまでも甲を卸さない
関公文化は、早くからすでに荆州の一枚の金看板となった。荆州の関公文化はいつまでも甲を卸さない。
荆州の関公文化というと、大好きと世界関公文化促進会の副会長である朱正明はいった。三国勝地の当陽で生まれた彼は自ら荆州人だと思った。荆州は関公の威が華夏を震わした場所で、ここの関公文化は特別な魅力がある。
時代と共に、環境保護の朝聖
以前、全国各地の関公祭りでは全部家畜で関公を奉じたが、今回の荆州祭りは遼寧の愛心ビジネスウーマン崔玉晶の提言を採用して、供え物を生花、果物、五穀雑穀、バターの燭などに変える。こういう時代と共に前進した活動は「中国五大関帝廟」の先河を開いた。炭が低くて、環境保護で、しかも綺麗である。
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