天山の三:东地古村の乾隆大廟
奇台県城大町の突き当たりには,蒼茫たる天山雪峰があります。
奇台东地关帝廟は榆树に取り巻かれている。
东地关帝廟大殿の前の古榆树と美しい花
东地关帝廟の警備員吕振东様はわれわれに大廟の珍しい壁画を紹介した。
东地关帝廟の警備員吕振东様はわれわれに大廟の珍しい壁画を紹介した。
摄影家朱正明様は东地关帝廟の吕振东様に世界关帝聖像と关公唐カードを贈っている。
东地关帝廟の山門
东地关帝廟の彩色を施した梁や棟の大劇楼
东地关帝廟内の花は美しく咲いている。
奇台県城内の犁铧尖关帝廟大殿
巴里坤から出発して、天山に沿って西へ300キロメートルぐらい行って、奇台県に着きました。
清の時代,关帝廟は新疆の各地,府県城,村镇山谷,辺鄙な片田舎ないし駐留している軍隊の兵舎を設営する場所至る所に通じます。戦火を経験して,前の世纪六七十年代“文化大革命”に遭ったので,大部分の关帝廟はなくなりました。奇台県东地古村の关帝廟はまた乾隆大廟と言われ,北疆地区でよく保存された关帝廟です。
大廟は奇台県城东から20キロメートルで,モンゴル国への古驼道、东地乡十六村に位置しているので、东地大廟と呼ばれました。大廟の警備員吕振国様は我にそういう風に介绍しました。この辺の建筑群落は清乾隆五十四年(1789)から建築されて,乾隆五十七年(1792年)で完成しました。关帝廟、娘娘廟、城隍廟,三座廟殿は南向き,構造は続き,主体建築は关帝廟です。清の時代嘉庆と道光年间で圣贤殿、劇楼などの組み合わせた建筑を建てました。同治四年で,城隍廟、娘娘廟は戦火で焚かれて,关帝廟は保存されました。光绪十八年(1892)で,当地の庶民はお金を寄付して建てて,初期の姿を恢復しました。
吕様は私に教えました。廟殿群落が1989年で新疆自治区文物保護单位を定義して、自治区文物局管辖に属します。近年、政府が投資して、山門、钟鼓楼、大戏台を再建して、14000平メートルを占めて、その中には、关帝廟が800平メートルを占めます。
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