英雄の末路も光り輝く――かつて住んでいた麦城
麦城 は今の湖北当陽市の東南から二十キロメータあまりの沮河の西岸にあります。 《 当 陽の 市 誌》 には “麦城は治 の 東南 から25キロメータで、沮江と 漳 江の間 に、楚昭王 は 築 い た と言われた ”, 今から、もう 2 千年余りになりました。
湖北当陽の古い 麦城 に、 かつて気宇壮大な悲壮なストーリを演繹したことがあります 。 (撮影:朱正明)
関羽は麦城を 行って 、兵が敗けて、 だけと、 同じく千秋の悲壮さ、永遠に名声を残し てい ます。 将軍の 星 が死んだ 後 で 、麦城人がその忠義 と 勇猛をあお向けるので、麦 の城で 関 帝 廟 を 建設 しました。 残念ながら 、今、 すでに 存在し ません。かつて住んでいた麦城 に平地から 隆起する土丘が古麦城の遺跡で、 “朝陽の山” と呼ばれました 。麦城の 残った 垣に登 って 臨んで目を上げて見回し たら 、 沮 漳 の平原は にがっかりして、村は互いに眺め られ て、炊事の煙がゆらゆらと立ち上って、めでたい 雰囲気がいっぱい です。
麦城の西北から六十キロメートルあまりの湖北省遠安市羅漢峪溝は 関羽 及び息子さんが 殺される場所で す。清の時代の同治七年(紀元1868年)、 ここで碑を立て ました。 その碑文は:“鳴きます!こ こ は関聖 帝 が 臨沮 から蜀に入 って 、 遇呉の回馬の場所 ” です 。 回馬 坂の傍の 小渓の中で、岩石の上にいくつ か の 1 尺 あまり の U 字形の痕跡があ りました。 聞くところによると それは 赤いウサギの馬のひづめ印で すので 、ここに馬の蹄の浜と 呼ばれています 。今、 ここは 三国 の 遺跡を訪ねて、 関公の精神を 追憶 する 地方に なりました 。
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